昭和46年4月14日夜の御理解      入力者 大坪 謙一        


今度、御本部参拝でかろうじて古川先生から知らせてもらった話ですけれども。
父が八十八で、米寿の祝いを(  ?  )た。「ちゃぁもう米寿の祝いだけわしちゃいけん」と、言われました。もうー、んー米寿のお祝いをしてからもう、いわいるそれこそ
その(?)ち。だから大体神様はもう八十八年間もの長生きのおかげを頂いた、お礼を申されると言う事だけですね(?)と言うて、あのー(?)。

あのー八十八のお祝いをなさっておる時にお届けをさせて頂かれて、三代金光様がえー、
「それは、結構です」とおっしゃらなかったと。ね、そしてあのーお祝いとも何とも書かずに、あのーお家からお家へ届けられた。まぁなんか何様かと思うてあけて見たところが、あのー、当時の一円札の一から八十八までの番号のそろうた一円札をですね、八十八枚 その送っておられた。

それはどういう意味かまぁだ今でも分からんというかね、どうもお祝いならお祝いと書からるはずだけどね、金光様書いておられなかった。あぁもう一円という事を、が八十八。もう本当に生まれて八十八年間ご縁の中に、えー御縁を頂いて八十八を越されたという事をまぁお礼を申しあげよという事じゃなかったじゃろうかと思う、まぁこれは私の知った限りでは八十八の(?)をしてはあんまりいけんから、とにかく(    ?    )ですけれども、まぁさせて頂いて、確かにそうですねーやはりお祝い子供達が八十八までお生きになったからというてお祝いをするうというのではなくて、八十八までもお生かしのおかげを頂いたという事をやはり何か形を変えてね、あのーお礼を申し上げることをしなければ、いけんのか、いけんということじゃなかじゃろうかと言うような事を思わしたですけどね。

とにかくあの、お礼を申し上げれる以外ないというのが御道の信心ですね。お礼の気持ちが何かに現れるという事になってこないといけないのですね。はぁーお願いをしておかげを頂いたから、あーお祝いをするといったような事では、それでなんかもうおしまいになてしまう。他の事に(?)だと思うですね。そんな時にゃ今度聞かせてもらうです。